2002年日本では2003年7月アルバム『WAITING FOR MY ROCKET TO COME』でデビュー。1年のほとんどをライヴで費やす地道な活動が、全米50万枚突破という成功を導き、新世代シンガーソングライターの筆頭株としての地位を揺るぎないものとした。2004年の春に行なった"The Tour of the Curbside Prophets"と銘打たれたソロ・アコースティック・ロード・ツアーでは、評論家筋からも大評判を得る。ソウル、ファンク、レゲエ、R&Bをベースに、洗練されたポップ・ソングを仕立てあげる職人技とも呼ぶべきソングライティング能力は、ジャック・ジョンソンやGラヴ周辺のシーンにも共鳴し、新世代のAORの旗手として、数多くデビューしたUSシンガーソングライター勢からも一線を画す。彼のトレードマークでもある、HIP HOPの歌唱法を取り入れたラップ調の早口なヴォーカルはジェイソンの個性をさらに際立たせている。 その鮮烈なデビューから3年、05年7月、自らの名前を冠した2ndアルバム『MR.A-Z』をリリース。U2の仕事でも有名な大御所スティーヴ・リリーホワイトをプロデューサーに迎える。当然、ソングライティングには磨きがかかり、ソウル、R&B、ファンクを基調に、ジャズやボサノヴァのテイストも融合されることにより、さらに楽曲は深みを増し、曲毎にまったく異なった表情を見せる、ジェイソンのヴォーカル力のスケール・アップも見事。凄まじい成長を遂げたジェイソン・ムラーズの2ndアルバム『MR.A-Z』は、予想通り、全米アルバム・チャート初登場5位という素晴らしいスタートを切った。2005年10月にはローリング・ストーンズの全米ツアーの前座にも大抜擢され、2006年フジロックのグリーン・ステージにも出演。 そして、2008年5月にリリースされた3rdアルバム『We Sing, We Dance, We Steal Things』は、全米初登場3位を記録。発売から5ヶ月を経ても尚、全米チャートTOP15をキープ、アルバム・セールスは50万枚を超え、大ヒット・シングル「アイム・ユアーズ」は世界各国でNO.1を獲得し、全米だけでセールス100万枚を突破する長ロング・ヒットを記録している。2008年夏、フジロック08&単独ツアーで来日。